投稿者: hakko-way
麹 訓練中!
宮崎県の旧工業試験所のKさんから、スペシャルな手ほどきを受けている、八町坂のホープ Sさん
心から、お二人を尊敬しています。
ありがとうございます!いつも!
夕べの酒
夕べは、恒例のドブロックライブが法華嶽八町坂で開催された。
13回目?で、福岡からシバ&タケのコンビ「ノーミスギターズ」のライブだった。
仕事を7:50PMに切り上げて、チケットもぎりを頼まれていたので、急いで八町坂に向かう。
お客さんは、ほどよい?10~15名
1/3放送予定の地元テレビ局(MRT)も来ていた。
運良く一番前のイスが空いていて、そこにて堪能させてもらった。
まずは、エビス缶を1本、そして、大分は鷹来屋をききじょこで2はい、どぶろく「しこたま」を1ぱい
ほどよく酔って、打ち上げへ。
打ち上げでは、また鷹来屋をいただく。
幸せな時間・・・
連日の睡眠不足で、12時くらいか?
気が付くと、宿直室で眠っていた。
いい夜を、ありがとう!
思い立ったが、吉日!
今日から毎日、1回(以上)は、ブログに投稿します!
そして、1回(以上)は、画像も投稿?します。
期待していてください。
発酵に関する“本音”を書いていきます。
いろいろな兼ね合いもありますが、できるかぎり ギリギリまでかきます。
くわしく知りたい場合は、直接聞いてください。お待ちしています。
2回目試験
2回目の試験です。
やっと、少し本題に近づいてきた
で、このブログではなにを書いていくかというと。
実は、確定的には、決めていない。
書きながら、書きたいことを書いていく。ことになる。
発酵にまつわる話を。
発酵にまつわる話なら、おそらく、事欠かないはずだ。
まず、ほぼ毎日(体調の悪い日以外)お酒(ビールか日本酒か焼酎かワインかまれに洋酒)を飲んでいる。
そして、ほぼ毎日、発酵食品か、発酵に関わることをやっているか考えている。
そして、もっと確実なことは、こうしている間も、体の中では、発酵が進行している(人間の体はもっとも精巧にできた発酵の工場!)という事実。
さて、明日から、もう今日か。今日から、書きます「発酵への道」
何日つづくか、楽しみに期待してください。
その期待が、継続の力になります。
ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
感謝します。
簡単なプロフィール その4
西ドイツでは、ほんと貴重な体験を沢山させていただいた。
ほんとまた、行ってお礼を言いたい。
「ダンケシェーン へル クラップ」
3~5年いるつもりだったが、いろいろなことが重なり、たまたま宮崎まで帰ってきた。そして、宮崎から出られなくなった。(詳しくはまたの機会に)
宮崎に帰るにあたっては、大きく2つの心配があった。
まずは、大好きな音楽を聴く機会が減るんじゃないかという危惧。
もうひとつは、切実で、大好きな日本酒が飲めなくなるのではないかという心配。宮崎は鹿児島につぐ焼酎文化圏で、酒と言ったら、それは焼酎を意味していた。東京でお酒をおぼえるまでは、おとそのイメージしかなかった。スナックの棚も、ほとんどは芋焼酎で、日本酒頼むと、下の棚を探して、半分くらいのいつ開けたかもわからないような「松竹梅」を平気で出すお店も実際にあって、ガックリきたこともあった。
しかし、今は断言できる。求めれば手に入るのだと。
音楽も、日本酒も、東京にいた時と同じかそれ以上の深さで堪能させてもらっている。有り難いご縁がたくさんあったお陰だが、感謝の日々である。
簡単なプロフィール その3
大学をなんとか卒業し、その前に、就職活動をした。人並みに。
まだ、バブルはじける前のいい時代で、一人でいくつも内定をもらっている仲間が多い中、どうしても海外で働きたかった。
国内なら、3つの会社だったいいと、電話したが、どこも、青田刈りですでに今年は決定済みとのことで、国内の選択肢は無くなった。
なぜか忘れたけど、その3つとは、「三和酒造」「パタゴニア」「名前忘れたが外資系の証券会社あっソロモンブラザースだ」
気持ち新たに、すぐに外国(ほんと何処でもよかった)に行かせてくれそうな会社を手当たり次第に受けるが、英語も堪能でもなく、第2外国語もなんだったか忘れるくらいの男にすぐに、海外に行かせるような会社はなかなか見つからなかった。
そんななか、いろいろな方面に網をかけていた一つ。
親父系の網に、ひっかかったと連絡が入った。
もう海外で働けるのであれば、何でもよかった。何処でもよかった。
北極でも南極でも。いや本気で。
そして、そこが、当時西ドイツで、ワイン農家と知り、ああそうか。
それは、よかった。くらいにしか思わなかった。
とにかく、海外ならなんでも、どこでもよかったのだから。
簡単なプロフィール その2
酒とバイトとバイクと音楽の日々を送りつつも、3、4年は比較的大学の授業も面白いものが増えてきた。特に、実際に発酵食品を造る授業や、企業に行く研修は、面白かった。
中でも、日本酒には、ひかれた。
造り方もさることながら、やっぱり、味に。
二十歳で、日本酒に完全にノックアウトされて、21年、毎日ノックアウトされっぱなしである。
なぜか、なぜなのかわからないが、しっかりと覚えている、ワンシーン。
こんな感じだった。
何人かの先輩と(当時は先輩とばかり遊んでいた)、夜中も明け方に近い時間帯、いつものように日本酒をしこたま呑んで、世田谷の細い路地を、Gメンよろしく、大声で話しながら、笑いながら、歩いていた。その時、頭にひらめいた、というより、降って来た言葉「し・こ・た・ま」
「しこたま」‥‥なんだろう‥‥日本酒の名前かな‥‥いい名前だなあ‥‥よし将来造ろうか、と。
だから、日本酒造りを夢見だしたのも、この「しこたま」の名前が天から?降ってきたお陰。有り難い。
しかし、この時点では、もちろん何の具体的な案も、動きもなし。
漠然としたものだった。でも、確実に、将来は造るぞ!という意識はあった。不思議と。
簡単なプロフィール その1
まず、生まれは、宮崎県宮崎市の病院らしい。
生年月日は、戸籍では元旦生まれだが、本当は、大晦日だと、二十歳の時に知る。それまで、宮日新聞の生まれ月占いは当たるとよく見ていたのが、ばからしくなって、それ以来、占いは見ない聞かないようになる。
家業が、発酵関係たっだので、発酵臭(香)の中で、育つ。
発酵にここまで関わるとは、当時(子供の頃)は思っていなかったが、気がつけば、発酵一色の人生を歩んでいる。今は、それで良かったと思っている。
まずは、大学に、発酵関係の大学を選ぶ。
これも、本当たまたまで、ひたすら、都会に行きたかった。
大阪か、東京に、ひたすら行きたかった。
東 京の某公立大を希望していたが、絶望的に無理だと言われ、どうしたものかと思っていたところ、救いの神‥‥発酵関係の子弟を優先的に入れる大学が東京にあ るという情報。これしかないと、狙いを決めて、高校に推薦を申し込む、ほんとに運よく(詳しくはまた)、学校推薦がもらえ、推薦入学する。この事が、よ かったのか、また後で書きますが、よかったんだな。やっぱり。今考えると。
大学在学中は、ひたすら、やっぱり、お酒の日々でした。
あとは、バイトと、旅(バイク、車)と、音楽‥‥
今の原型は、この時代に出来ていたのだと、改めて思うなあ。
大好きだったお店は、世田谷の経堂駅のすぐそばにあった「あさひや」さん
ほんといい店だったなあ。
週の半分は行っていたかな。
安い、うまい、楽しい
現在の好きなお店ランキングでも、確実に3本の指に入ります。
もう一度、あさひやで、昔の仲間と酒が呑みたいなあ
叶わぬ夢だけど。もう10年近く前に閉店しました。
おいちゃんが亡くなられたと風の噂で聞きました。
「お疲れさまでした。あなたの店で、お酒の素敵さを知りました」
「ありがとうございました。心から感謝します。」