簡単なプロフィール その5

久しぶりに続きを
24で宮崎に戻ってきた。また、すぐに出るつもりで。
しかし、衝動的に、大好きな車を買ってしまう。シトロエンの2CVを。
22歳くらいの頃、一生のうちに所有した車のリストを車好きの仲間と作ったことがあった、そこには、記憶では、ポルシェ、コルベット、ボルボ、ビートル、・・・あと4,5台はあった気がするが、シトロエンは無かった。
ではなぜ?シトロエンだったのかというと、当時は、所有できるリスト内の車は、ビートルくらいだった。金額てきにも。
しかし、新車というものを一度体験したくて、当時は最後の新車の2CVがたまたま残っていて、ドイツ時代に、隣の家に2CVがあって、ヨーロッパには、まだ2CVがあふれていた。
大好きな空冷だったし、水平対向だったし、エンジン周りをみても、自分で何とかなりそうなシンプルさだった。
そして、買って乗って、大好きになった。シトロエンから離れられないくらいに。
だから、一時は、次もシトロエンと考えた時期もあったくらいに。今は、同じ水平対向の国産車、これも、国産車では、唯一大好きな、スバルのレガシーに乗っている。水平対向は最高やな~
いつかは、ポルシェの夢は、いつも心にあります。それは、きっとかなうと確信しています。その先の夢のためにも、ポルシェはさけては通れないところだと強く想うし、先につながっていくということを。
車を所有したことで、ローンが発生し、いよいよ宮崎からでれなくなりました。仲間も消防団や商工会を通じて増えてゆき、25歳のころに、今へ続く大きな始まりがありました。
それは、「かしのみ会」です。とてもかわいい会の名前ですが、もともとは、独身者の独身者によるイベントで、街を活性化しようと、町内のIカメラ屋さんの提案で始まったと聞いています。今考えると、Iさんに感謝感謝です。この会との出会いが無ければ、今の状況はあり得ないでしょうから。ここで、法華嶽公園を利用しての野外イベントがスタートします。
そして、運命の1995年初めての野外ライブイベント「ライブIN法華嶽」を開催することになるのです。
ここでの出会いが、音楽を使って街や人を活性化しようとするグループ「スマイル」へつながり、「ホッケストック」へとつながっていきました。平田達彦さんとの出会い、音楽好きな仲間との出会い、そこから、何組が出会い、結婚しただろうか。結局、Iさんの思惑通り、(もうIさんは、気づいていない、忘れているかもしれませんが、そんなことを提案したことを)進んできてることに、いかに、最初の想いは形をかえ、時間を経ると、現実化するかということに驚きます。
「ホッケストック」のことは、それだけでも、一冊の本ができるくらいに、いろいろな素敵な出会いや体験をさせてもらっています。現在進行形のイベントで、毎年、進化しています。